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清い水辺を取り戻した環境法の歴史

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日本における水質改善への取り組みは、高度経済成長期に最悪の水質汚染を経験した後に始まりました。

そもそも、水辺の汚染の歴史は文明開化の明治時代までさかのぼります。富国強兵の名のもと急速な産業の近代化が進行。
太平洋戦争後の産業復興の時代を経て、昭和30年代の経済の飛躍的発展に至るまで、都市を中心に汚水が垂れ流され水質汚染は拡大し続けました。
この頃、水俣病やイタイイタイ病などの被害が頻発し、その悪化の頂点に達します。

1958年には、江戸川の本州製紙の工場排水による漁業被害をめぐり漁民約 700 名が工場に乱入。工場側と乱闘するという事件が発生しました。それをきっかけに水質汚濁防止の立法化の必要性が叫ばれるようになり、同じ年の12 月に旧水質二法が制定されました。

ただ、その範囲が限定的であったことと排水基準の遵守が曖昧であったため効果に乏しく1970年には廃止。全国的な一律の排水基準を設け、罰則を強化した「水質汚濁防止法」が成立します。

その対象は工場だけでなく一般家庭の排水も対象にしていることから、それ以降の河川や外海の水質は大幅に改善していきました。
ただし、閉鎖性水域においては、依然として水質汚染の問題を抱えたままとなっていました。

閉鎖性水域とは、地形などにより水の出入りがほぼない水域のこと。内湾や内海、湖沼といった水域がそれに当たります。

このうち、内湾・内海に関しては、1978年の水質汚濁防止法の改定により水域を指定して水質改善策を強化。東京湾や伊勢湾、瀬戸内海が指定水域となりました。1984年の「湖沼水質保全特別措置法」の制定により、湖沼でも水質改善が促進されていきました。

とはいえ、閉鎖性水域は放っておくと、すぐに水質が悪化してしまいます。身近な公園の池や堀、溜池などでは特に注意が必要です。

当社の「湧昇流循環装置(カルチファン)」などを活用するのも一つの選択肢。
環境に優しい当社の商品で、きれいな日本の水辺を一緒に守り続けましょう。